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美味しんぼに毒された世代

現在50歳手前から30代後半の漫画好きな人はほぼ全員「美味しんぼ」の呪縛から逃れられないようである。


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美味しんぼは確かにグルメ漫画のターニングポイントであり、漫画の中に留まらず読者の実生活に多大な影響を与えたと言って過言ではない。なぜそれほどまでにこのマンガは読者に支持され後のグルメ漫画の礎になったのか?僕が考えるに美味しんぼはそれまでのグルメ漫画の根幹であった「美味しい料理は腕のいい料理人がその技術とアイデアの全てを賭けて作りあげるもの」というフォーマットを覆したところにあるのだと思う。

美味しんぼにおける「美味さ」には全て理屈が語られる。例えばお米炊く時に1粒1粒選別して大きさを揃える事で最高のご飯が炊き上がるという話がある。それが本当に美味しいのかどうか読者は確かめようが無いのだがそういう理屈を語られるとなるほどそうかもと思ってしまうのだ。


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そういう実証が出来ないような食に関する薀蓄や技法を次々と披露された結果、読者は料理は素材と調理方法にこだわれば美味しくなるのだという固定概念を刷り込まれてしまい毎回新しい薀蓄が語られる度にそれをさも自分が体験したかのような錯覚に陥った結果、自分が何かを喰べた時に美味しんぼで語られてる理論を当てはめてその料理を評価する癖が付いてしまっているのだ。

   こう言えばもっとわかりやすいだろうか、鶏肉を喰べる時にその評価基準として「地鶏は身が締まっていて美味い。噛めば噛むほど旨みが出る」などと言いがちである。本当にそうだろうか?同じ肉でも牛肉だと「国産牛で絶妙にサシが入った霜降りは柔らかくて箸で切れる」とか言われる。豚肉にいたっては「肉の持つ甘味がすごい」とか定番の褒め言葉である。
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  鳥は歯応えがあってOKで牛は柔らかさが最高で豚は甘さって今ではテンプレートになっていますが本当にそうでしょうか?

ケンタッキーフライドチキンを食べて「柔らかくて美味しい」と思い、スーパーのフライドチキンを食べて「なんか固くて身が少ない」とか思いませんか?サシが入ったロースより赤身が美味いと思う人も多いです。

なのに何故か美味しんぼ世代の我々は料理の美味さを表現する時についつい美味しんぼのテンプレート表現を使ってしまうのです。


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トンカツを揚げるのには豚の脂を使ったラードでなくては駄目だとか実際に試した事が無くても理屈を言われてあぁそうだなと納得してしまうとそれがセオリーになってしまう。これこそ我々にかけられた「美味しんぼの呪縛」なのです。

 食べ物の美味い不味いなどは感覚でしかないのに何故か我々は理屈でその感覚を確認しようとしてしまうのです。この行動パターンは美味しんぼ世代の最たる特徴で何か薀蓄を語りたがる結果、下の世代から疎まれるようになりがちです。

 それに対して今のグルメ漫画の主流は理屈を述べるのではなく「理屈じゃなく本能的に揺さぶられるパターン」がほとんどです。孤独のグルメにしても何がどうして美味いのか理屈は語られる事なく「これだ、これだ!」とか「これはご飯に合う」とか食べた感想を次々に表現する事で読者の中にある想像力を掻き立てる方向に特化している傾向が強いです。

 今の読者は美味しくなる理屈などあまり興味は無くて、無性に食べたくなるとか箸が止まらないとかそういう表現が好きなんですね。

 おそらくは美味しんぼの全盛期、バブルの頃は食事にお金を掛ける事イコール美味しい、もしくは美味しいものは高価になっても仕方がないという認識が美味しんぼによって広められた事が今の30代後半40代の基本的な考え方になってしまったように思います。

 

 そんな世代と食事にできるだけお金をかけたくない今の若者との間には大きな溝があるように思います。そしてその溝は単なる食べ物の好き嫌いではなくライフスタイルとか仕事に対する価値観にも影響を与えてると思いますね。それについてはまたの機会に書いてみたいと思います。